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執筆者の写真コウスケ

『子育てと宗教』宗教によって教育されてきた僕が思うこと

更新日:9月18日



冒頭からカミングアウトしますが

僕は宗教2世です。

母親がエホバの証人で、

現在も信者です。

妹も信者で洗礼も受けています。


実はこのことは

妻にも結婚前には言っておらず、

結婚後にサラッと伝えただけでした。


妻も両親がカトリックで

本人も洗礼を受けていましたが、

非常に不真面目な信者だったらしく、

エホバの証人についても

キリスト教の亜流くらいにしか思っていないようです。


しかし、亜流というには

かなり大きな隔たりがあるように思います。


母は僕が6歳の頃に入信して以降、

エホバの教えに沿って

教育を施してきました。

それが大人になった今、

どのような影響があるのかを振り返ってみます。



エホバの証人(ものみの塔協会)とは


エホバの証人について

ご存知の方も多いと思いますが、

ざっとご説明をします。


エホバの証人の概要と特徴


エホバの証人は19世紀に

アメリカで成立したキリスト教系の新興宗教です。

経典は聖書。


ユダヤ教の経典となっている

イエスキリスト生誕以前の旧約聖書と

キリストの教えをまとめた新約聖書とを

併せて学びます。

元々は聖書研究者のグループでした。


集会を毎週数回行い、

年に数回「大会」と呼ばれる大規模なイベントを開催します。

信者は全世界に広がっており、

バプテスマ(いわゆる洗礼)を受けた信者のことを

男性は『兄弟』、

女性を『姉妹』と呼びます。



他のキリスト教と何が違うの?


エホバの証人は布教活動に力を入れています。

布教活動のことを「奉仕」と呼ぶのですが、

何時間奉仕活動に携われるかで

組織内の序列ができます。

この奉仕活動は子ども連れで行う信者も多く、

同行して同級生の家などに当たると

非常に気まずい思いをします


輸血の禁止も独特の解釈です。

聖書の創世記や申命記(いずれも旧約聖書)に

『血を食べてはならない』という記述があり、

それを頑なに守っています。


紀元前における衛生観念や技術と

現代の医療技術の進歩のそれでは

全く前提条件が異なるのですが、

エホバの証人の教えの中では

他のキリスト教徒の違いの中で

最大の特徴とも言えるかもしれません。


さらに具体的な項目に関して

次の章で挙げていきます。



エホバの証人の教育方針



ここからは僕が実際に体験した

エホバの証人の教育について書いていきます。



悪いことをしたら鞭で打つ


エホバの証人は聖書原理主義者なので、

聖書に「子どもは鞭で打て」

とあればマジでそうします。

ええ、そうです。

いわゆる体罰です。


革のベルト、平手、電気コードなど

体験者によって鞭は様々でしたが、

我が家はホースでした。

共通していたのは

決して服の上からは叩かないということ。

パンツを下ろして罰を与える

というのがセオリーです。


集会と呼ばれる集まりでも

騒いだりする子どもは

別室に連れて行かれて

鞭で打たれました。


勝手に連れてきて

子どもにはつまんない話を聞かせておいて

騒いだり寝たりしたら叩くとは、

これはいかなる了見なのか?

と今では疑問に思います。


よって、罰=お尻を叩かれる

というイメージが

強く深く我々には刻み込まれています。



誕生日、クリスマスは祝わない


エホバの証人は記念日を祝いません

唯一祝うのはイエスが復活した日を

『記念日』と称してお祝いします。


クリスマスも元々は

イエスキリストの誕生日を祝う日。


エホバの証人に言わせると

これは邪教が生み出した

商売のための記念日なので

行う意味はないそうです。


友達の誕生会や

クリスマス会などに参加できなかった

小学生時代の悲しみは今も癒えません。


当然ですが、お祝いをしないので

誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも

我が家にはありませんでした。

乾いた幼少期時代でした。



偶像崇拝は禁止


エホバの証人は

エホバという神様を信仰する一神教です。

よって、その他の神の存在を認めません


日本でよくある山の神様や海の神様など、

自然に対して畏敬の念を抱く

アミニズムは邪教です。


聖書には金の子牛の像を作って

乱痴気騒ぎしたユダヤ人が

モーセに大激怒されたという話があります。

偶像を神に見立てて崇拝行為を行うことは悪であり、

よって、仏像の類に手を合わせるのはもちろん、

七五三や初詣などで神社に行くのもNG。


友達と初詣に行っても

手を合わせられないので

不思議な顔をされたのは忘れられません。


また、芸能人のポスターなども

偶像崇拝だと言って

部屋に飾ることはできませんでした。



格闘技は禁止


地味に辛かったのが格闘技禁止という教え。

闘うこと(暴力)は良くないということで

学校の授業で行う柔道が禁止されていました。


1回2回だったら、

体調不良でもなんでも

言い訳して休むことができます。

でも柔道の授業が

1ヶ月近くあったら無理です。


宗教で禁止されているのでなんて言っても

同級生はおろか

先生にも理解されません。


僕はそれが辛かったので、

母に内緒でお年玉を握りしめて

柔道着を買いに行きました。

そしてひっそりと柔道着を隠して

体育に参加していました。


柔道の授業がない女子に生まれたかったと

本気で思いました。

それぐらい辛かったのです。



日の丸、君が代はNG、校歌?当然NG


学校ではことあるごとに

国旗掲揚とか国歌斉唱とか

校歌斉唱を行います。


これはエホバの証人的に言わせると、

偶像崇拝行為にあたります。


まあ、国旗・国歌は百歩譲って

国への崇拝かもしれないけど、

校歌は違くね?と思うのですが、

洗脳された小学生に

そんな反論ができるはずもありません。


最初は歌っていませんでしたが

そのうち口パクするようになり、

中学生になる頃には普通に歌っていました。


周りと違うことをするというのは

非常に勇気がいります

強い信念もないのに教えを守るのは

非常に苦しいことです。


そしてそのことが

いじめにもつながったりもします。


母はいつも

「困った時は神に祈りを捧げなさい」

と言いましたが、

祈っていても神はいじめから助けてはくれませんでした。



婚前交渉は禁止


これは多くのキリスト教系の宗教では基本のキですね。

カトリックでもプロテスタントでも

性に関しては超不寛容です。

これはユダヤ教でも同じです。


従来、キリスト教は

性に関する戒律が非常に厳しいことで有名です。

自慰行為も禁止ですし、

神に仕える者は禁欲を求められます。


キリスト教が浸透する以前の日本は

非常に性に開放的でした。

夏祭りの後は乱行パーティだったそうです。

不倫という概念ももっと薄いものでした。


石田純一の名言「不倫は文化」

もあながち間違いではないのです。


それが近代化に伴って

西洋文明が日本に浸透し、

キリスト教社会の価値観が広まった結果、

今のような一夫一婦制や

不倫=不道徳といった価値観が

ベースの社会になっていきました。


僕は、不純異性交遊がしたかったので

エホバの証人を脱会した

と言っても過言ではありません。



他宗教に関わるライフイベントは不参加


これは僕よりも親父が困っていたと思います。

何度も言いますが、

エホバの証人は他宗教に関して不寛容です。

他の神の存在を認めませんから。


一般的なお葬式って大抵仏前式ですよね。

宗派はあれど、

お坊さんが来て読経するっていう。

あれ、同席できません

って言って母は別室に待機していました。

親戚が集まる中でなかなかキツイ行動です。


結婚式、大抵は教会で

ウェディングドレスを着てやりますよね?

邪教だって言って親戚の招待などは基本欠席、

または裏方やります

って言って式に参加せずにいました。


そんな母でしたから、

僕が結婚式を挙げる際には

人前式にしました。

神様に誓わないで

みんなの前で誓いますという形式にして

なんとか母も参加できるようにしたのです。



政治に関わるのはNG


エホバの証人は政治と距離を置きます。

この世を治めるのはエホバただ一人である

という考え方から

『この世』の為政者たちを嫌います。


選挙に行くことはありませんし、

立候補するなんてもってのほか。


驚くことに、

学校の生徒会役員選挙まで

投票不可という徹底ぶり。

生徒会は神に代わる為政者なんだろうか?

学校まで神に支配されてんのかよ。

エホバの証人の

謎思想の一つです。


そんな僕が今、政治家の秘書をやっているのは

幼少期の反動でしょうか。



宗教が子育てに与える影響



旧統一教会問題でも

『洗脳』という言葉が

しきりに使われていましたが、

宗教が行う教えは

いずれも洗脳に近いものであると感じます。


もちろん、

宗教が及ぼす良い側面もあるのですが、

いきすぎると良くない側面の方が

多いのではないでしょうか。



道徳的な価値観


僕はエホバの証人

という入り口があったおかげで

他の宗教にもものすごく興味を持ち、

大学以降宗教の勉強をしました。


キリスト教だけではなく、

イスラム教も仏教もヒンドゥー教も神道も、

宗教と呼ばれているもののほとんどは

『人生をどう生きるのか』

『人間とはどうあるべきか』

というポイントに着地します。


それを学び、教え、実践するのです。


道徳的な価値観、

人間として

どう振舞うべきかという点について

宗教はとても効果的です。


「神様はいつも見ている」

「死後、行いが裁かれる」

「極楽浄土に行ける」


決して論理的でない

理論を信じ込ませ、

行動に移させることができるのです。


宗教のメカニズムすげー!

と思う反面、

悪用すると怖いですよね。

それが旧統一教会や

オウム真理教といった

カルト教団になってしまっています。


暴力はダメ

人に優しく

嘘はつかないなど、

そう、道徳的な面から言えば

プラスな部分もあると僕は思いますし、

聖書を学んだおかげで

僕は人に誠実に優しく対応できる人間に

なれたのだと思います。



今も残るトラウマ


一方で、トラウマも存在します。

暴力はダメと教えられてきたので、

人を傷つけることが

どうしてもできなかった。


数人に囲まれて

顔の形が変わるほど

殴られたこともあったけど、

手を出すことはできなかった。

ガンジー状態でした。


大人の社会では

それで褒められることなのかもしれません。

でも子どもの社会は違う。

一度舐められると

とことん舐められる。


僕は小学5年生と中学2年生で

キツイいじめを体験することになりました。

両方とも親の仕事の都合で転校した年でした。


確かに暴力は良くないけども、

無抵抗でいたからって解決もしない。


鞭と称してお尻を叩かれる罰も

一方的に打たれ続けていただけ。


無抵抗主義が過ぎて、

僕は自分が我慢すればいいと

自己主張をしない人間に

なってしまっていました。


成長するにつれて

段々と薄れてはきたものの、

僕は今でも最終的には

自分が我慢すればいい

という方法をとってしまいがちです。



人生を縛る鎖である


宗教の戒律は基本ダメなことが

挙げられています。

イスラム教で言えば

女性は肌を見せちゃダメ

キリスト教で言えば

婚前交渉はダメ

など。


エホバの証人は原理主義者なので

戒律を基本的に厳しく解釈しています。


政治の世界で例えると、

憲法9条を柔らかく解釈して

敵基地攻撃も可能にしちゃうぞ

って言っているのが

キリスト教の中ではカトリックで、

9条は平和憲法であり、自衛隊も軍隊だからダメ!

と言っているのがエホバの証人みたいな感じ。


ダメダメダメ!

で人生縛り付けて生きるのって

そんなに楽しいですかね?


僕は自分の子どもには

ダメダメで縛るのではなく

ある程度の線引きはするけども

自由に楽しく人生を

謳歌してほしいと思っています。



まとめ


エホバの証人2世が被害者として

クローズアップされてきている背景には

厳しい教育方針があります。


子どもの頃に

厳しい教育方針に従って

生きざるを得ないことで

学校の同級生や親戚などと深い溝ができ、

孤独で非常につらい日々を送ってきています。


自分の意思で入信したのであれば

それも良いのですが、

2世は強制です。


『みどりご』(※赤ちゃんの意味)と呼ばれ、

自分の意思で集会に参加しなくなるのは

中学生を超えてからでなければ許されません。


人によっては高校生になっても

強制的に通わされている子もいました。

鞭の恐怖が身についているからです。


僕はこうした経験から、

エホバの証人をはじめとした

厳しい教育方針の宗教には反対です。

信者の多くは

自分の頭で考えて実行しているわけではなく、

聖書に書いてあるから

実行しているだけなのです。

理屈も理解もない教育は

害悪でしかありません。


僕は聖書自体は素晴らし書籍だと思うし、

子どもたちにも読み聞かせをしました。

でも強制はしません。


何がよくて何がダメなのか

自分で考えて学んで欲しいと願っています



最後に、

J W2世3世の皆様、

本当に抜けられてよかった。

いつ訪れるかわからない地上の楽園なんかより、

この世を謳歌してくださいね。

今、幸せになりましょう。

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